付きまとう偽善
みなさんこんにちは。この写真はオカンがわざわざ僕とお酒を飲むためだけに買ってきたコップです。なんだか素敵です。底の抜けたコップで海を掬っているようにも見えるし、夏の匂いを閉じ込めてしまったかのようにも見えます。夏が恋しいですね。 今日は自分の中でもスッキリしていないことを文章にしてみます。実は小中学生、高校生を対象とした、学生寮が運営する学習ボランティアに携わって1年半が経とうとしているのですが、「偽善」が影のように僕の後ろに付きまとっているようでなりません。 偽善って何だろう、僕が偽善を感じる時は24時間テレビで出演者が涙しているときや、災害ボランティアの人たちが自己陶酔してる場面です。善意という絵の具で塗られた仮面の裏に何か別の目的や意図が見え隠れしている時、目を背けたくなります。 じゃあ自分はそんな彼らに石を投げられる立場なのか?きっと答えはノーだと思います。確かに僕はやる気があってもなかなか定着しない高校生にあの手この手を使って、精一杯勉強を教えました。でもその裏に「自分の経験値になったらいいな」「学生寮のイメージが良くなればいいな」という思いがあったのもまた真なりです。このボランティアに携わる中で自己陶酔をしていた自覚はないですが。 ここで僕は偽善者なんかじゃない!と叫びたいわけじゃなくて、自分の行動原理を見直す機会になればいいなあと思い、文章にしてみた次第であります。 おそらく誰にでも偽善の影は付きまとうんじゃないでしょうか。僕はその影から目を背けずにいたいです。